意識低い系・理系大学院生のマインツ留学体験記

化学専攻の修士2年生です。10月から約2ヶ月半、ドイツのマインツ大に留学。意識が低くても留学生活を満喫できることをお伝えできれば幸いです。

バイオの実験を生まれて初めてやってみて「ヤバい」と思った話

普段はノーベル賞の時期にしか話題にならない科学というジャンルですが、一昔前のなんちゃら細胞問題に関しては、不思議と世間の注目が集まりました。研究そのものよりも裏の人間関係のドロドロに注目が集まるのがなんとも言えないところですね。

なんで今さらこんなことを書いているのかといいますと、本当に今さらになるんですが、留学先でバイオの実験をほんの少しだけやってみて「こりゃSTAPなんちゃらみたいなのも出てくるのもしょうがないな」と思ったからです。具体的には「バイオは、わたしが専攻している有機化学とは本質的に違う学問だ」と思ったのです。そこで、何がどう「ヤバい」のかについて、書いていきたいと思います。

有機化学者の扱う対象はデカい

有機化学者が扱ってる対象は分子とか高分子なんですが、これらはとんでもなく複雑なんですよね例えばですが、コップ一杯の水には10^23オーダーの水分子が含まれています。10^23ってのはあれですね、10の23乗ってことです。10を23回かけてるんですよ。ヤバい。

これがどれほど巨大な数なのかといいますとですね、例えばですが、1兆って10を12回かけた値です。1兆円あったら冗談抜きに国作れますよね。そのぐらいヤバい数字です。そうなんですよ。コップ一杯の水には、この国家レベルの数値に、さらに10を11回かけた数の水分子が存在しているというわけです(10^12 × 10^11  =10^23)。

どうでしょう。もうこの時点でめちゃんこ複雑なんですが、有機化学者はさらにここに別のものを混ぜます。10^23個オーダーの成分を2種類とか3種類とか。もうわけわかんないですね。

A+B→C

という感じで溶媒すら使わない一見単純な反応だったとしても、実際にフラスコの中で起こっていることはとても複雑です。つまり、10^23オーダーの分子Aおよび分子Bがランダムに動き回り、決まった角度からの接近だかフロンティア軌道だか何だか知りませんが、特定の条件になった瞬間に何か新しいことが起こって、分子Cが生成するというわけです。意味不明ですね。世の中の有機化学者はこんな訳わからないことをやってて病気にならないのか心配になります。

バイオはさらに複雑でYABAI

というわけで有機化学ってのは結構ヤバい学問なんですが、バイオはさらにYABAIです

先程はA+B→Cが複雑だ、という話をしていましたが、バイオの実験はこれとは比べ物にならないぐらい複雑です有機化学では、上記のように10^23オーダーの分子を扱うという複雑さはあるものの「フラスコの中で何をどうするか」すなわち「AとBを混ぜるけど、Xは混ぜない」といったように、実験条件を、そこそこ厳密に、自分で決めることができます。いや実験てそういうもんやんって言われますと当たり前なんですけれども、これができるかできないかというところがものすごく重要なんですよね

なぜなら、バイオの実験は自分で条件を決められないからです。は?と思う方が多いと思いますが、これはマジです。なぜなら、

①扱う対象が分子ではなくて、動物、細胞、細胞内小器官、……、タンパク質、といった「生体由来の」「わけわからん」モノ

である上に、

②(場合によっては)フラスコの中ではなくて、生体内で実験をしなければならない

からです。

 

①についてですが、有機化学者は分子Aと分子Bを混ぜる時、きちんと「分子Aの構造は芳香環が2つあって、分子量は400で、融点が130℃で、固体で、etc...」「分子Bの構造はアミノ基があって、分子量は200で、沸点が150℃で、液体で、etc...」といった具合に「自分が今、何をどうしているのか」ということを、そこそこ厳密に把握できるわけです。だから、10^23オーダーの分子をまぜまぜしていても、あまり迷子になりません。

がしかし、バイオでは違います。実験で使う細胞Aとはどういう構造で、どのぐらいの大きさをしていて、ということがらが、曖昧にしかわからないんです。対象がとてもとてもデカくて複雑だ、ってことですね。というのも、例えば細胞ひとつとってみてもですね、細かく見てみるとヤバいです。10のなんとか乗オーダーで原子が螺旋状に連なってたりシートになってたりしたものがさらに折り重なってグッチャグチャのメッタメタになってるものが、ようやくひとつのパーツです。ここで話は終わらなくてですね、そのグッチャグチャのメッタメタなパーツがさらにわけの分からない個数集まって細胞になってるんですけれども、そんな感じでさっぱりわけの分からないモノと何かが反応してグッチャグチャのメッタメタのギッタギタになっている様子を観察するんですよ。だもんで、自分が実験に使っている細胞Aが一体何なのかが詳しくわからない上に、そのわからないモノと何かをまぜまぜしたら、そりゃ迷子になります。

 

さらに②についてですが、有機化学ではフラスコの中で実験します。だから、容器がどう反応に影響するかということに関しては、あまり気にしなくてもいいんです。混ぜた分子Aと分子Bのことだけを気にすることができるんです。

がしかし、バイオでは違います。生体っていうフラスコを使うんですよね。生体ってのはA+Bどころじゃ済まされないぐらい多数の成分が存在してるので、有機化学みたくA+Bをやるつもりでも、アルファベットとギリシャ文字キリル文字とあと何かを足しても足りないぐらい訳の分からないものが勝手に足し算されていってしまうんです。おーこえー

……自分でも書いてて意味不明ですね。料理に例えてみます。

肉じゃがを作る時に鍋を使いますよね。キレイにした鍋の中でじゃがいもと肉と調味料を混ぜているのが有機化学者です。当然、鍋はあんま味に影響しません。じゃがいもと肉と調味料のことだけを気にすればいいです。がしかし、バイオではあれですね、カレーを作ってる鍋の中で、同時に肉じゃがを作らなきゃいけないんです。不可能ですよね?醤油とカレーのルーって混ざりますし。でも彼らはマジで、カレーの中で肉じゃがを作ってるんです

どうでしょう?ヤバくないっすか。カレー作ってる鍋の中で肉じゃが作れって言われてできる人はこの世に多分存在しないと思います。バイオって、そのぐらい難しいんです。

バイオはとにかくコントロール(対照実験)が必要

というわけで、カレー鍋の中で肉じゃがを作るわけなんですよ。でも大事なのはそのお味です。カレーの味を排除しつつ肉じゃがの出来を確かめないといけないんです

……ムリですよね。じゃあどうやってバイオの人たちは肉じゃがの味を確かめてるかといいますとですね、ひたすら条件を変えて比べるんです。カレーと肉じゃがが混ざってしまったら、肉じゃがだけ味わうことは不可能なので、水の量だとか、あとはじゃがいもの種類だとかタマネギの刻み方だとか、とにかく細か〜く条件を振ってですね、それで味の違いを確かめてるんです。100個ぐらい用意したカレー入りの鍋の中で肉じゃがを作って「うむ、タマネギみじん切り・ジャガイモはメークイン、醤油は50mLだとウマいな」とかやってるわけです。意味不明ですよね。

まあこういうふうに100個の鍋を用意したり、100種類の醤油の銘柄を試したりと、実験する量が無限に増えていきます。いつまで経っても家に帰れません。しかも、ひとつでも鍋を取り違えたら全てが破綻します。細心の注意を払っていても人間ってカギなくしたりしますよね(意識低いお前だけとか言わない😭)。カレーと肉じゃが混ぜた鍋が100個あったらどうでしょうか。ヤバイ。この一言に尽きますね。

結論:有機化学やっててよかった

いやーほんとよかったです。iPS細胞がスゲーってなった時、バイオを志して進学する高校生がいっぱいいたそうなんですが、彼らは今元気なのかなぁと心配になってきました。

わたしは高校生の頃はモンスターハンターだけに興味があった単なるアホだったので「とりあえず大卒にならないとヤベーなー」「実家から通えるからいっかー」「文系より理系のほうが就職良いらしいしなー」「理系科目苦手だけどなぜか化学だけはいつも満点近くだしなー」ということで、地元の国立大の化学科に進学することを決めたんですよね。ヘタに意識高くて「俺はiPS細胞よりもさらにスゴいなんちゃら細胞を作る人間になるんだ」とか志してたら、まあ上記のようなヤバさゆえに、今頃行方不明になってたと思います。バイオはヤバい。

バイオの実験してたら、捏造・改ざんが起こるのもやむなし 

はい。

すげー今更感あるんですけど、SDS-PAGEをやってみて、心の底からこう思いました。バイオってとにかく複雑なんですよね。その上、えげつない数の実験量をこなさなきゃならない。そりゃ「えーい、電気泳動のゲルにインクで線引いちゃえ」ってなっちゃうわけですよ。これは本当にしょうがない。わたしが意識低いとかそういう次元じゃなくて、原理的にしょうがない

ということで、一昔前に世を賑わした例のSTAPなんたら問題の根源はですね、バイオという学問の「とりあえずカレーと肉じゃがを一緒くたに煮込んでから考えよっか」ってところにあるんじゃないのかなあと思いました。だって100個煮込んだうちの1個だけ取り違えただけで全部オジャンですよ。科学者だって人間ですから「……うわーやっべ、鍋取り違えた、ミスった」「……分かんないけどクミンをいっぱい入れたカレーなら肉じゃががうまく作れたことにしとくか……」なんてこと、普通に有り得そうな気がしませんか。「研究不正と真摯に向き合う」とか「研究倫理を大切にしよう」とかカッコいいこと言われてもですね、たったひとつのミスで、100個のカレー肉じゃがが全部やり直しですよ。そして「100個全部やり直しな」と言われたら、皆さんはどうでしょうか?わたしは正直なところ、自信がありません……。

こういう背景って、たぶん報道されないんですよね。世の中の多数はそもそも自然科学じたいに興味ないだろうし、それよりも昼ドラみたいな人間関係が面白い!って方に注目が集まるのも頷けます。恥ずかしながら私も、現場に来て初めて理解しました。カレーと肉じゃがをいっぺんに作ってる人の気持ちは、やっぱりいっぺんやってみないと分かんないもんですね……。

まとめ

  • 有機化学とは、ヤバい学問である
  • バイオのヤバさは、遥かその上をゆく
  • バイオの実験では、カレーを作ってる鍋で同時に肉じゃがも作らなければならない
  • カレーと肉じゃがの話をしてると腹が減ってきた
  • バイオ系の論文不正が起こるのは原理的にしょうがない
  • 現場に来てみないとこの感覚は分からない

ということでした。他にもいっぱいバイオ系の学問ってヤバいところがあるんですけれども、まあ本とかいっぱい出てるんで読んでみたら良いと思います。例えば電気泳動したゲルの写真が証拠になってるとか。そんなもん、フォトショップ職人にチョチョいとイジってもらったら……なんて悪いこと思っちゃいますよね。にんげんだもの、しょうがない。しょうがなくないか。

なんかすげー長くなったんですけどここまで読んでくださった方がいたとしたらとてつもなく光栄です。

 

ありがとうございました。