意識低い系・理系大学院生のマインツ留学体験記

化学専攻の修士2年生です。10月から約2ヶ月半、ドイツのマインツ大に留学。意識が低くても留学生活を満喫できることをお伝えできれば幸いです。

言葉の持つ魔力について - 横文字のご利用は計画的に

最近、二つの記事を書きました。

mainz-studyabroad.hatenablog.com

mainz-studyabroad.hatenablog.com

これらの記事、二つとも同じことを伝えようとしてるという体で書いたんですけれども、読んでみると全く違った印象を受けますよね。

そうなんです。言葉って、すごく強い力を持ってるんです。だからこそ、その使い方をきちんと見極めなければなりません。今回は、言葉の持つ魔力というものについて書いていきたいと思います。

言葉の持つ魔力

さて、タイトルにある「言葉の持つ魔力」ですが、意識低い24歳のわたしがごちゃごちゃ書くよりも、聖書の一部分を引用するほうが伝わりやすいと思います。

初めに言があった。言は神と共にあった。言は神であった。

この言は初めに神と共にあった。

すべてのものは、これによってできた。できたもののうち、一つとしてこれによらないものはなかった。

この言に命があった。そしてこの命は人の光であった。

光はやみの中に輝いている。そして、やみはこれに勝たなかった。

- ヨハネによる福音書 1:1-5

いかがでしょうか。

聖書によりますと、言葉は神とともにあり、言葉によらないものはひとつもなかったんですよ。わたしの聖書に対する理解は高校生の頃ちょろっと読んだ程度なので、神学的な解釈としては非常に大きな誤謬を孕んでいると思います。が、ここに書かれている言というものを「言葉」であるとすると、この引用した部分は、たとえ非キリスト教徒であっても、意識が低い理系大学院生であっても、重く受け止めなければならない言葉だな、と思います。

聖書とはとてつもなく古くから受け継がれてきた書物です。紀元1〜2世紀に成立したとされています。つまり、千年単位の時間を経て、現在も存在しているのです

そうなんです。聖書とは、半ば神話として捉えられがちな出来事(キリスト教徒はこれを事実であると認識しています)―イエス・キリストは磔にされることで、原罪を償った―ここから数えて千年単位の歴史を乗り越えてきた書物です。数え切れない数の民族や国家が憎しみ合い、戦争を繰り返し、無数の人々が苦痛に苛まれてきた激動の歴史。この中にあっても、聖書というものは(幾度もの編纂を重ねてはいるものの)大本の形を変えずに、現在に伝わっているのです

ではなぜ、聖書は朽ち果てることなく現在にも伝わっているのか。それを説明しようとしているのが、タイトルにある「言葉の持つ魔力」です。言葉とは、どのような民族・宗教においても普遍的な概念でありながら、決して変わることがありません。例えば、引用した聖書の部分を読んだ地球上に存在するおよそ全ての人類は「神は言葉とともにあり、言葉は神だった」という情報を得るのです。これ、何も聖書だけではなくて、アリストテレス形而上学も、ニュートンのプリンキピアも、マルクス資本論も、ケインズの一般理論も、わたしの書いた意味不明な学会の要旨も、何ならこの意識低いブログも、言葉によって成り立っているがゆえに、未来永劫残り続けます。多分。そのぐらい、言葉って重いんです

……意味分かんないですね。分かりやすくしてみようと思います。「吐いた唾は呑めぬ」って言葉がありますよね。言葉で言葉の説明をするのは意味不明なんですけど、そういうことなんです。言葉とは、人類ならば誰もが使える。そして誰もが理解できる。だから残る。それが言葉の持つ魔力です。めっちゃ重い。

言葉とは、思考そのものである

何か考える時って、必ず言葉があるんですよね。これに気づくまで24年と半年ぐらいかかりました。

「論文を書こう」

「イントロに引用する論文、どうやってあたりをつけようかな」

「わかんないから先生に質問しよう」

「今日の実験は何からやろうかな。反応はいつ止めようかな」

「晩飯作るのダルいから冷食買うか」

といった日頃の思いつきですら、まず言葉があります。先ほど説明したように、神とともにあったぐらいにファンタスティックで魔力満タンの言葉が頭の中を蠢いているわけです。それも日常的に。

こりゃ、重く受け止めなければならない。言葉を軽視するということは、言葉によって成り立っている思考を軽視することに他ならないわけです。思考を軽視するということは、その先の行動を軽視するということ。行動を軽視するということは……

どこかで見たことありますよね、これ。

思考に気をつけなさい、それはいつか言葉になるから。
言葉に気をつけなさい、それはいつか行動になるから。
行動に気をつけなさい、それはいつか習慣になるから。
習慣に気をつけなさい、それはいつか性格になるから。
性格に気をつけなさい、それはいつか運命になるから。

- マザー・テレサ

はい。たまたまマザー・テレサが言いたかったこととカブっちゃってます。まぁ順序はわたしとは逆なんですけど、大体そういう感じです。人間というものの根本的な何かを軽視した瞬間に、全てうまくいかなくなるんですよね。だから「気をつけなさい」なんですよね。

横文字、ちゃんと意味を理解して使ってますか

一気に俗っぽい内容になっちゃってるんですけど、思考を構成している言葉というものを軽視したらアカンで!ってことが言いたいんです。アジェンダとスキームとプラン、一体何がどう違うの?これを理解せずに「何となく意識高そうだから」という理由だけで垂れ流してる人、いっぱいいますよね。どうなんですかね。「ロバスト」って言葉、学会に行ったら山ほど見ます。が、彼らは「頑丈な」って言いたいのか「外的要因による変化を内部で阻止する仕組みや性質」って言いたいのか、どっちなんでしょうね。そういうところをキチっと考えてない人、いっぱいいそうですね。無論わたしも含めて。

たかが言葉、されど言葉。

この記事を書く時「普段使わない、よく意味を理解していない言葉を優先して使ってみよう」と試みました。

mainz-studyabroad.hatenablog.com

で、普段使っていて、意味を(多分)理解している言葉に直してみました。

mainz-studyabroad.hatenablog.com

……ヘンなことが起きてるんですよね。

同じことを書いているはずなのに、思考の精度が全然違うんです。わたしは元から意識低いんですけど、意味の分からない言葉を多用している時は、さらに意識が低まってる気がするんです。翻訳後の文章を読んでも意味が分からないですし。何なら、翻訳している最中「何でこんなこと書いたんだろう」「これ、どうやって翻訳すればいいんだろう。ホールドするってなんだよ、意味分かんねえじゃねえか」などなど。こういった雑音が頭のなかで鳴り響いていました。

この試みによって、一つ一つの言葉の意味を理解せずに使うと、全部台無しになるんだなぁということが実感できました。思考と言葉ってふかーいところで結びついてるんですね。はい。

その横文字、本当に横文字にしなきゃダメですか?

ってことが言いたくて書き始めたんですけど、だいぶ新興宗教の教祖、もしくは自己啓発セミナーの講師っぽい記事になっちゃいました。すみません。

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無料の適職診断テストしてみたらこういう結果になったんで、多分しょうがないです。ごめん。

まぁつまりですね、ちゃんと意味を理解して言葉使おうねってことが言いたいです。わたしの嫌いな言葉のひとつとして「グローバル」って単語があるんですけども、その理由を詳しく説明すると10000字は普通に書けちゃうので簡潔にまとめると、おみゃーらホンマに地球全体のことを指して「グローバル」って使ってるんかいな?ってことです。どうせGleeみたいな欧米人の青春映画をイメージしながら「グローバル」って言ってるんとちゃうの?シリアもイラク北朝鮮カンボジアコンゴも「グローバル」に含まれとるんやで?あぁん?ごめん。

言葉をちゃんと選ばないと、相手に伝わらないばかりか、自分の思考まで曖昧になっちゃうんです。特に日本人に馴染みのない横文字を使う時は「カッコイイから」「意識高そうだから」って理由で、選んじゃダメですよ。お前が言うなって感じなんですけど、こればっかりは我慢ならないので言わせてもらいました。

まとめ

言葉に気をつけましょう。さもないと、運命まで変わっちゃうかもしれませんよ。家族とLINEでやりとりする時、気づかないうちに深く傷つけちゃうようなこと、書いちゃったりしてませんか。論文書く時、よくわからないまま使った横文字のせいでリジェクトされちゃったりしてませんか。

というわけでした。長くなっちゃいました。今日、言葉というものについて色々自戒すべきことがあったので……。

 

ありがとうございました。