語学の最終"笑"達点 - 外国のコメディアンで笑えるかどうか
山名「パンはパンでも、食べられないパンは?」
秋山「マジで言うます?めちゃくちゃ有名なやつですやん」
山名「えぇホンマ?」
秋山「じゃあ……敢えてこう答えますね。」
山名「敢えてぇ?」
秋山「ピーターパン!」
山名「ブー!フライ・パン!」
秋山「分かってるんすよ。あの分かってる上で敢えて答えてるんすよ」
山名「でも答えに、敢えてとか無いから」
秋山「そんなん言い出したら別にピーターパンも正解っちゃ正解すけどね」
山名「ピーターパンは、焼いたら食べれるから」
秋山「(ギョっとした表情。シュールな音楽と共に照明が落ちる)」
これは「アキナ」というお笑いコンビによるコントの一節です。今年のキングオブコントのネタですね。わたしはこれを見て死ぬほど笑い転げたわけなんですが、冷静になってみると、ある疑問が思い浮かびました。「……このコント、何がどう面白くて笑ったんだろう」と。
分析 - わたしはなぜ、このネタで大爆笑したのか
わたしはこのコントの中で「ピーターパンは、焼いたら食べれるから」という、とてつもなく重たいパンチを食らって腹が捩れるほど笑い転げました。が、冷静になってから考えてみますと、この「笑う」というアウトプットに至るまでに、何段階かステップがあることに気づきました。ということで「なぜ、わたしは大笑いしたのか」ということについて、細かく分析したいと思います。
事前知識 - 日本語ネイティブであるがゆえに、基本的な理解が身についている
このコントを見る前の事前知識として、私は下記のことを身に付けていました。
- 日本語が堪能であること(関西弁が理解できるほどにネイティブであること)
- 「ピーターパン」が有名な童話の主人公、かつ人間(のようなもの)であること
- 「パンはパンでも〜」というなぞなぞが有名であること
- そして、その解答は一般的に「フライパン」や「パンツ」などであること
- カニバリズムは禁忌であること
- 確かに、人間は焼いたら食べれること
こんなもんでしょうか。
これだけの知識が揃っていることが前提で、この一連の流れを見て「面白い」と感じることができるわけです。外国人にとっては意外とハードルが高いのかもしれません。
経緯 - 笑うに至るまで、何を思い、どう感じたか
それでは、笑いが生じた経緯を細かく見てみましょう。冒頭にあるセリフを引用しながら、振り返ってみたいと思います。
山名「パンはパンでも、食べられないパンは?」
秋山「いや……えっ、マジで言ってます?」
山名「うん」
わたし「ほ〜、有名なの来たなぁ。面白い解答が来るんかな?」
秋山「じゃあ……あえてこう答えますね。ピーターパン!」
山名「ブー。フライパン!」
わたし「えぇ……ピーターパンってのは結構面白いけど、じゃあ何が答えなんだろ」
わたし「まさかここで終わらんよね?」
秋山「分かってるんすよ。分かってる上で敢えてこう答えてるんです」
山名「いや、答えに敢えてとか無いから」
秋山「そんなん言い出したらピーターパンも正解っちゃ正解すけどね」
わたし「うんうんそうだけど…答えに敢えてがないってのはなかなかキテるなぁ、これはおもろい。あはは」
山名「ピーターパンは、焼いたら食べれるから」
秋山「(ギョっとした表情。シュールな音楽と共に照明が落ちる)」
わたし「ピーターパンはwwwwwww確かに焼いたら食べれるけどwwwwwwwwwwww食べねえよwwwwwwwwwwwwwwwwwwwギャーッハッハッハハwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww」
……という経緯にて、笑いというアウトプットが生じたわけです。
考察 - 「ピーターパンは、焼いたら食べれるから」が面白かった理由
上記の事前知識および経緯から考えてみると、大爆笑するに至った理由はかなり分かりやすいです。今回取り上げた部分はですね、大きく分けると「①予想を大きく裏切ることによって笑いを取る」「②倫理的には不可能であるが、論理的には可能である話題で笑いを取る」という二点が、笑いを生み出しているわけです。
①予想を大きく裏切ることによって笑いを取る
まず、導入部分としてなぞなぞを取り上げたのはとても賢いと思います。なぜなら、次の展開が非常に予想しやすく、かつ、多様な予想の裏切り方が考えからです。特に今回取り上げられた「パンはパンでも」というなぞなぞは、老若男女問わず「次は"パン"と付く、面白い答えが来るのかな」と、予想することができます。
ですが、その答えはフライパンです。予想通りすぎて、逆に予想を裏切っています。当然「その上で何か新しいネタが入るのかな?」と気になってきますが、よもや「ピーターパンは、焼いたら食べれるから」がぶっ込まれるとは誰も予想できないわけです。そりゃ笑いますよね。なぞなぞの話題かと思いきや、いつのまにかピーターパンが焼いて食べれる話題になってるわけですから。そりゃ面白い。
②倫理的には不可能であるが、論理的には可能である話題で笑いを取る
古今東西問わず、カニバリズムというものは人間のなかで脈々と受け継がれてきました。ようは共食いです。大昔には、飢餓に耐えかねて仕方なく、もしくは宗教的な意義もあってやっていた行為ですが、現代では専らサイコキラーがやることです。もちろん、今の日本でやろうものなら一瞬でとっ捕まって翌朝の新聞一面を飾るぐらいにタブーです。
……が、人間の筋肉ってのは大体タンパク質でできているので、だいたい牛肉や豚肉と同じなんですよね。倫理的な問題を敢えて考えなければですね、人間は焼いて食べれます。これ、論理的には間違ってないです。ピーターパンは大人にならないから、おそらく通常の人間とは違ってるんですけども、議論をややこしくしたくないので普通の人間として扱うとですね、まあ焼いたら食べれるんです。ピーターパンは食パンと同じく、焼いたら食べれる。
というわけで、こういう矛盾・タブーを上手いこと組み合わせたフレーズが「ピーターパンは、焼いたら食べれるから」であるわけですね。そりゃ面白い。
というわけで、ちょっと考えてみますと「ピーターパンは、焼いたら食べれるから」というフレーズが、なぜ面白いのかが分かるんですね。当然、見ているときはこんなに考えて笑ってたわけじゃないんですが、我ながら納得です。
外国のコメディアンを見て笑えたら、一流だ!
長々とピーターパン問題について考察してきましたが、何が言いたいかというとですね、外国のコメディアンを見て笑うためには、言語の理解のみならず、その国の文化が肌で感じられるぐらいの幅広い知識が必要になるってことです。今回取り上げたこのコントのワンシーンでさえ、言語の問題はさておき
「日本にはなぞなぞという文化がある」
「その中でも"パンはパンでも〜"という有名ななぞなぞを知っている(無論、その一般的な答えも知っている)」
といった理解がなければ、わたしのように大爆笑することはできないんです。
……おわかりいただけたでしょうか。外国のコメディアンを見て心から笑えるようになるには、言語のみならず、その国の文化に対する深い理解が必要なんです。したがって、日本の漫才師を見て笑い転げている外国人がいたとしたら、その人はネイティブジャパニーズと遜色ない日本語力の持ち主であるというわけです。
ということでですね、外国語を勉強中の方は、ぜひ「お笑いが理解できて、反射的に、心の底から大笑いできる自分」を最終到達点もとい最終"笑"達点の自分である!と思いながら勉強したらいいんじゃないのかな、なんて思います。思っただけなので根拠はありません。すみません。
まとめ
- 予想を大きく裏切ることが笑いを生む
- タブーに踏み込むことが笑いを生む
- その国のコメディアンで笑うには、語学力のみならず、文化に対する理解が必要である
- したがって、外国のコメディアンを見て心の底から笑えたらネイティブと遜色ない語学力である
- お笑いを考察すると意外と奥が深い
- ピーターパンは確かに焼いたら食べれる
ということでした。笑いって奥が深いですね……。書き始めた時は単なる思いつきだったんですが「なんで面白いんだろう」と考えると、とてつもなく複雑怪奇な障壁が立ちはだかっているという理解ができました。日本語ネイティブだったらこのピーターパン問題を反射的に解決しているからすごい。わたしは意識低いので、日本のお笑い芸人以外で心の底から笑うのは一生無理だと思います。TOEIC485点のわたしでも爆笑できる海外のコメディアンっていったら、Mr.ビーンくらいですかね……。
ありがとうございました。