意識低い系・理系大学院生のマインツ留学体験記

化学専攻の修士2年生です。10月から約2ヶ月半、ドイツのマインツ大に留学。意識が低くても留学生活を満喫できることをお伝えできれば幸いです。

自我とは何か

世界を認知するフィルター、それが意識である。視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚の情報を統合することによって、我々は世界を認知する。意識とは、これら五感の統合によって作り出される認知であり、我々は意識というフィルターを用いることにより、世界に触れることができる。美しい風景を見て感動する。素敵な音楽を聴いて楽しむ。そよ風に触れて気分がいい。美味しい料理を味わい、コーヒーの香りを楽しむ。全て、意識というフィルターが介在した行為だ。

このように「意識とはあくまでフィルターである」と考えると、様々な疑問が生じる。一体どこにいる誰が、美しい風景や素敵な音楽を楽しんでいるのだろうか。フィルターの向こう側には、一体何があるのだろうか。意識の最果てに、これら五感というフィルターを通して世界を楽しむ「自我」がいるのだろうか。その自我とは、いったいどこに、どのような姿をして、何を思っているのだろうか。

言い換えると「わたし」の体における「主観」の正体が一体何なのかが分からないのである。景色はそこにある。料理もそこにある。味蕾や網膜から受けた刺激が複雑な神経伝達系を通して、意識として浮かび上がる。ここまではいい。では一体誰が、得られた意識に対して「美しい」「美味しい」といった「主観」的な評価を下しているのだろうか。

……自分の体や精神といったことがらに関して、極めて無関心な態度で生きてきたのだなと実感させられる。この文章を書いているのは「わたし」に違いないが、一体「わたし」とは、複雑な意識の統合体そのものであるのか、それとも複雑な意識を統合している「自我」なる概念そのものであるのか、それとも別の何かがあるのか、何もかもが分からない。

考えるべきことは気が遠くなるほどある。そして、まとまりのない意味不明な文章である。あー実験するか