ドイツで実験して、機会損失という概念を学んだという話
「損をする」とは一体どういうことなのでしょうか。一般的には、
「ドラッグストアに行けば1000円で買えたはずの洗剤を、スーパーマーケットに行って1200円で買ってしまった。したがって、200円の損をした」
といった例が、いわゆる「損」ということに対する理解なんだと思います。
しかしながら、実はこれ以外にも「機会損失」と名付けられた「損」があるのです。ドイツに来て1ヶ月が経過し、ようやく理解できてきたので、機会損失という概念について書いていきたいと思います。
機会損失とは
「八百屋さんがとても美味しいりんごを1個500円で売っていました。このりんご、飛ぶように売れていったのですが、ある日とうとう在庫切れして、おいしいりんごを売れなくなってしまいました」
これが機会損失という概念です。別に在庫切れしたからといって、上記の洗剤の例のように直接損することはないのですが、この概念は「売れたはずなのに」ということを損であると考えるわけです。
具体的に数字で考えてみるとですね、1個500円で売れるりんごが、例えば1日800個の売れ行きだったとします。そんな八百屋ねーよってツッコミはおいといて、1日あたり500かける800 = 40万円の売上があるわけです。機会損失という考え方では、例えば在庫切れが1日続けば40万円の損、一週間続けば280万円の損、一ヶ月続けば1200万円の損、となるわけですね。もしもこの八百屋さんが機会損失という概念を理解していたとすれば「くそっ、在庫切れさえなければレクサスぐらい買えたはずなのに……在庫切れのせいで……」と歯ぎしりしていることでしょう。
実験室における機会損失
化学の話に戻します。実験室における機会損失とはずばり「実験できたはずなのに、できなかった」ということです。例えば洗い物に1時間かける間、合成の仕込みができなかった。TLC板を切る作業に3時間かける間、精製ができなかった。NMR測定に1日かける間、別の測定ができなかった。などなど。わりかし思い当たる節があるんじゃないでしょうか。
なぜ自動化・使い捨て化するのか - 機会損失を嫌うから
ドイツに来て、死ぬほど自動化・使い捨てしまくっててこいつらわたしより面倒くさがりだなとかアホなこと考えてたんですけど、そうじゃないんですよね。論文書くためには絶対に実験しないといけません。その実験するという機会を失うこと、これをおそれているからこそ、徹底して自動化・使い捨てするんですね。機会損失に繋がることには時間をかけないようにするというわけです。
また、面倒を減らすってことについても、この機会損失という角度から考えてみますとなかなか合理的です。「測定が面倒くさいからやらない」「洗い物が嫌いだからやらない」などなど。まぁわたしのことなんですけどね。改めて、日本に帰ったら意識を高めようと思いました。
機会損失を避けよ = 時は金なり
とまあ、機会損失について長々と書いてきました。が、わたし、実は同じことを既に書いてるんです。
mainz-studyabroad.hatenablog.com
そもそも「時は金なり」という言葉自体が「機会損失はできるだけ避けよ」という意味合いの言葉なんですよね。いかにもアメリカ人っぽい考え方です。ドイツ人もそうでした。彼らは苦労を嫌ってるのではなくて、機会損失を嫌ってるんですよね。ここが、日本人との大きな違いだなあ、と、留学一ヶ月目にしてようやく理解が進みました。
まとめ
- 機会損失という概念がある
- 自動化・使い捨て化は機会損失を減らす工夫である
- 機会損失を避ける = 「時は金なり」
これはドイツに留学しないと一生理解できない概念だったと思います。こういう気付きのために留学するんでしょうね〜。
ついでにこの機会損失、もとは歴史に名を残すような思想家が考えた概念ですから、日常生活にも当然応用するべき場面は多々あると思います。なにも実験室だけの話じゃないんですよね。これからはぜひ「機会損失してないか」と考えるクセをつけようと思いました。
ありがとうございました。